エンジニア転職を考えた人なら、こうした言葉を一度は見たことがあるはずです。
たしかに、過去のSESには問題のある会社や案件がありました。
ただ、現在は市場環境も働き方も大きく変わっており、当時のイメージだけで語るのはズレがあります。
結論から言えば、SESは叩かれすぎです。
本記事では、「無能」「つまらない」「詰み」「怖い」といった評価を分解しながら、今のSESを冷静に整理します。
叩かれすぎ?その評価は過去の構造に引きずられている

SESに対する評価の多くは、実は現在の実態ではなく過去の構造に強く影響されています。
まずは、なぜここまでネガティブなイメージが定着したのかを整理する必要があります。
2010年代までは確かに厳しい働き方が起きやすかった
まず最初に認めておくべきなのは、SESに対するネガティブな評判の出発点には、実際の問題があったということです。
かつてのSESでは、エンジニア本人の意思よりも、会社都合や営業都合が優先されることが珍しくありませんでした。どの案件に入るかは会社が決め、本人は「行ける現場に行く」ことが前提になっている。
案件の内容や商流、実際にどんな業務をするのかも、十分に説明されないまま参画するケースがありました。
当時よく問題になっていたのは、たとえば次のような点です。
- 案件の選択権がほとんどない
- 商流や業務内容が十分に共有されない
- 本人の希望より、会社都合で配属が決まる
こうした状態が生むのが、キャリアの分断です。
本人は開発をやりたい、設計を経験したい、将来的には上流に行きたいと思っていても、実際にアサインされるのはテストだけ、保守だけ、運用監視だけ、といった仕事になってしまう。
しかも、断れば「わがまま」と見なされる。こうなると、キャリアは自分で積み上げるものではなく、偶然入った現場に左右されるものになります。
さらに問題だったのが、多重下請けの深さです。
エンド企業から元請け、さらに二次請け、三次請けと案件が流れていき、その末端で実務を担うのがSESエンジニアという構図は、当時かなり一般的でした。
この構造では、どうしても次のような状況が起こりやすくなります。
- 任される仕事が限定される
- 情報共有が遅くなる
- 裁量が小さくなる
- 単純作業に寄りやすくなる
その結果として起こりやすかったのが、「何年やっても同じことしかしていない」状態です。
つまり、昔のSESが叩かれたのは、単なる偏見ではありません。
本人の意思よりも会社都合が優先されやすく、キャリア形成が現場任せになりやすかった。
そして多重下請けの中で、成長機会そのものが細くなりやすかった。
そうした構造的な問題が、実際に存在していたのです。
なぜその構造が長く続いたのか
では、なぜそんな構造が長く維持されていたのか。
ここを理解しないと、

昔そうだったなら今も同じだろう
と短絡的に判断しやすくなります。
大きかったのは、当時の転職市場の弱さです。
今のように転職が当たり前ではなく、「会社が合わなければ早めに動く」という考え方も一般的ではありませんでした。
一度入社した会社で我慢して働き続けることが、むしろ常識に近かった時代です。
会社側から見れば、人が簡単には辞めないので、環境改善の圧力が弱かったとも言えます。
加えて、情報の少なさもありました。
今なら、求人票だけでなく口コミサイト、SNS、技術ブログ、カジュアル面談など、会社の中身を知る手段がいくつもあります。
しかし当時は、入社前に実態を把握する手段が限られていました。
悪い会社に入ってしまっても、外からは見えにくい。
これもまた、問題のある会社が延命しやすい環境をつくっていました。
そしてもう一つが、エンジニアの需給バランスです。
もちろん昔からIT人材は必要とされていましたが、現在のように「経験者ならどこでも足りない」という水準まで市場が逼迫していたわけではありません。
企業は相対的に強い立場に立てたし、エンジニアは相対的に弱い立場に置かれやすかった。
だから、多少ブラックでも成立してしまったのです。
今は同じやり方では人が集まらない
しかし、現在は前提がかなり変わっています。
まず、エンジニア不足が深刻です。
特に開発経験者は明らかに足りておらず、企業は人材確保に苦労しています。
この環境で、過去のように



案件の詳細は言えません



とにかく行ってください



商流は説明できません
といった態度を取っていたら、人は集まりません。
また、転職市場も活発です。会社に不満があれば転職すること自体が特別なことではなくなりました。
今のエンジニアは、嫌なら辞められるし、比較もできます。
採用側は「うちに来てもらう」意識を持たないと勝てません。
さらに、SNSや口コミサイトの存在も大きいです。
以前なら社内だけで終わっていた不満が、今は簡単に外へ出ます。労働環境が悪い、案件の透明性が低い、スキルがつかない、そうした声は一瞬で広がります。問題のある会社ほど、採用市場で不利になるわけです。
その結果、現在のSES企業は、少なくとも一定以上まともでないと人材を維持できなくなっています。
ここで言いたいのは「業界全体が理想的になった」ということではありません。
「昔のような雑なやり方は、今はビジネスとして続けにくい」ということです。
評価だけが昔のまま残っている
ここまで整理すると、なぜSESが叩かれすぎるのかが見えてきます。
理由は単純で、実態より評価の更新が遅れているからです。
悪い記憶は長く残ります。
特に、働き方やキャリアを傷つけられた経験は、当事者にとって簡単に消えるものではありません。
その体験がネット上に残り続け、「SESは危険」という印象の土台になっている。
しかも、ネガティブな話は広まりやすいので、過去の失敗談ほど今も目につきます。
だから今でも、「SESは全部危ない」「SESは全部ブラック」という見られ方が起きるのです。
けれど、そこには時間差があります。現在の一部の問題と、過去に業界全体に広がっていた構造問題とが、同じ温度で語られてしまっている。
これが、SESが叩かれすぎている大きな理由です。
SESは無能ばかり?それは市場構造の見え方を間違えている


「SESは無能ばかり」と語られがちですが、その見方はかなり表面的です。
実際には、SESという働き方そのものよりも、人材が混在する市場構造の見え方がそうした印象を生んでいます。
「無能」と言われる背景には、目立ちやすさの問題がある
「SESは無能ばかり」という言い方は、かなり乱暴です。
ただ、そう思われてしまう理由も、まったく分からないわけでもありません。
現場によっては、経験の浅いエンジニアが多かったり、指示待ちになりがちな人、スキル不足が目立つ人に出会うことがあります。
そして、そういう人ほど印象に残りやすいものです。
その結果、



SESにはレベルの低い人が多い
という感覚につながってしまいます。
ただし、ここで大事なのは、目に入っているものが全体ではないという点です。
人は、問題のある人にはすぐ気づきます。
会話が噛み合わない。
仕様理解が遅い。
レビューで何度も同じ指摘を受ける。
こうした特徴は、とても分かりやすいからです。
一方で、優秀な人はどうでしょうか。
普通に仕事を片づけ、問題を起こさず、必要な場面で適切に動く人ほど、良くも悪くも目立ちません。
つまり、「できない人が目立つ」一方で、「できる人は目立ちにくい」という構造があります。
この見え方の偏りが、「SESは無能」という言葉を必要以上に強めてしまっているのです。
SESは“会社”というより“市場”に近い
この話を理解するためには、SESを一般的な一社の組織として見るのではなく、人材市場に近いものとして見る必要があります。
自社開発企業であれば、採用の時点でレベル感がある程度揃えられます。会社の基準に合わない人は入りにくいし、入社後も同じ文化の中で育成されるので、組織全体にある程度の統一感が出ます。
一方、SESはそうではありません。未経験から入って間もない人もいれば、数年の経験を持つ中堅もいる。
フリーランスに近い動き方をする高単価の人材も同じ「SES」という括りに入ります。つまり、もともとレベル差が大きい世界なのです。
この構造を無視して「SESの人は無能」と言ってしまうと、実態をかなり雑に切り捨てることになります。
正確には、「SESにはレベル差の大きい人材が混在している」が近いはずです。
むしろ優秀な人も普通にいる
この点をもう少し現実的に見ると、SESの現場には優秀な人が普通にいます。
たとえば、フリーランスとしても動けるレベルのエンジニアが、案件単位でSES的に参画していることは珍しくありません。
商流の浅い案件や、エンド寄りのプロジェクトには、設計や技術判断ができる人材が必要になるため、単に「人数を埋めるだけ」の人では務まらないからです。
また、複数の現場を経験してきたSESエンジニアは、特定の会社しか知らない人よりも、幅広い技術や開発文化を知っていることがあります。
これは地味ですが大きな強みです。
設計思想の違い、現場運営の癖、チームごとのレビュー文化、そういったものを横断的に見てきた人は、単純なコードのうまさ以上の引き出しを持っています。
つまり、「SES=無能」という評価は、低スキル層だけを切り取った見方に過ぎません。
本当に差を生むのは所属ではなく本人の動き方
さらに言えば、無能かどうかを決めるのは、SESか自社開発かではありません。
受け身で、学ばず、案件を選ぶ意識もなく、言われたことだけをこなしている人は、どこにいても伸びません。
逆に、必要な技術を学び、自分の経歴に何を積むべきかを考え、案件の内容を見て動く人は、SESでも十分に成長します。
SESが誤解されやすいのは、環境差より個人差が見えやすいからです。
できない人は本当にできないし、伸びる人はしっかり伸びる。
その振れ幅の大きさが、「SESは無能ばかり」という極端な印象につながっています。
ただ、冷静に考えれば、それはSESという仕組みの欠陥というより、混在した市場であることの副作用です。
そこを見誤ると、業界の実態をかなり雑に読み違えることになります。
SESはつまらない?それは自社開発への期待が過剰なだけ


「SESはつまらない」という評価はよく見かけますが、その前提には見落とされがちなズレがあります。
多くの場合、比較対象となる自社開発への期待が理想化されすぎていることが原因です。
「SESがつまらない」と感じる理由は、たしかに存在する
SESがつまらないと言われる理由は、感情論ではなく説明できます。
まず大きいのは、プロジェクトの一部分しか担当しないケースが多いことです。
要件定義から設計、実装、テスト、運用まで一気通貫で関われるわけではなく、そのうちの一部だけを担う。
すると、自分の仕事が全体の中でどう位置づいているのかが見えにくくなります。
意味が見えにくい仕事は、どうしても「作業感」が強くなるものです。
次に、プロダクトへの帰属意識の薄さがあります。
自社サービスなら「自分たちのものを育てている」という感覚を持ちやすいですが、SESではプロジェクトが変われば現場も変わります。
プロダクトに長く関わる前提ではないため、愛着が育ちにくい。
これも「つまらない」と感じる理由の一つです。
さらに、裁量の小ささもあります。商流が深い案件ほど、末端のエンジニアは決まった作業をこなす比率が高くなります。自分で工夫する余地が少ないと、仕事はどうしても単調に見えます。
ここまでは、SESに対する不満として理解できます。
ただし、比較対象の自社開発が理想化されすぎている
SESを「つまらない」と評価する人の多くは、無意識に自社開発を理想化しています。
頭の中には、新しいサービスを作る、自分たちで技術選定する、良いプロダクトを育てる、といったイメージがあるはずです。確かにそういう現場も存在します。
ただし、それは自社開発のすべてではありません。
多くの自社開発企業で実際に行われているのは、保守、改修、障害対応、既存機能の改善です。新規開発の比率は思っているほど高くありません。
既存コードの制約の中で、要望に応じて変更を加える。技術選定も個人の趣味ではなく、既存システムやチーム事情を踏まえて決められる。
つまり、仕事の中身だけ見れば、かなり地味です。
ここを無視して「自社開発は面白い、SESはつまらない」と言ってしまうと、比較そのものがずれます。
SESの価値は“深さ”ではなく“広さ”にある
では、SESの良さはどこにあるのか。答えは、経験の幅です。
自社開発では、一つのサービスを深掘りする代わりに、見る世界が狭くなりやすい。
技術も文化も固定されやすく、会社の中の常識がそのまま自分の常識になります。
一方、SESは現場が変わります。会社も違えば、技術スタックも違う。
レビュー文化も、ドキュメントの粒度も、会議の進め方も違う。
その差を何度も体験できることは、若手や中堅にとってかなり大きな意味があります。
もちろん、これは「何でも広く浅くやればよい」という意味ではありません。
ただ、キャリア初期に複数の現場を見ることは、自分に合う技術や働き方を知る材料になりますし、転職や独立のときにも強みになります。
つまり、SESが提供するのは「一つの世界を深く知る面白さ」ではなく、「複数の世界を見て比較できる面白さ」です。ここを理解せずに、自社開発型の面白さだけを基準にすると、SESはどうしても不利に見えます。
つまらないかどうかは、業界ではなく案件の質で決まる
つまらないSES案件も中にはあります。
単純作業しかない現場、技術的な学びが少ない現場、ただ人手として扱われる現場。
そういう案件に入れば、当然つまらないでしょう。
ただ、同じことは自社開発にも言えます。
保守だけ延々と続き、新しい挑戦もなく、社内政治ばかり強く、技術的成長も感じにくい。
そうした自社開発の現場も普通にあります。
要するに、「SESだからつまらない」のではありません。つまらない案件と、面白い案件があるだけです。それは自社開発にも同じことが言える。
ここを分けて考えないと、仕事の本質ではなく看板の違いだけで判断することになります。
SESは詰み?本当に危ないのは商流が深すぎる案件である


「SESは詰み」と言われることがありますが、その原因はSESという仕組みそのものにあるわけではありません。
実際にキャリアを左右しているのは、どのポジションの案件に入るか、特に商流の深さです。
「詰み」と言われるのは、実際に詰むパターンがあるから
「SESに入ったら詰み」という言い方は極端ですが、完全に根拠がないわけではありません。実際、SESでキャリアが停滞する人はいます。
ただし、その原因はSESという言葉自体にあるのではなく、どんな案件に入って、どんな経験を積むかにあります。
キャリアが止まる典型的なパターンは明確です。
単純作業が中心で、技術的な判断権がなく、上流工程にも触れられず、しかもそれが長期間続くこと。
こうなると、何年働いても経歴に積み上がるものが増えません。
転職時に語れる内容も弱くなり、「年数の割に浅い」と見なされやすくなります。
この状態を生みやすい最大の要因が、商流です。
商流の深さが、経験の質を決める
SESを語るうえで、商流は避けて通れません。
商流が浅い案件とは、エンド企業や元請けに近い位置で仕事ができる案件です。
逆に商流が深い案件は、二次請け、三次請け、そのさらに下で動く案件を指します。
商流が深くなるほど、エンジニアが持てる情報と裁量は減ります。
エンドの意図が直接見えないので、なぜこの機能を作るのか、どこが重要なのかが分からない。
意思決定は上で完結しており、末端では指示に従うだけになる。
結果として、仕事が「考える仕事」ではなく「こなす仕事」になりやすいのです。
さらに、商流が深いほど単価は削られます。
どこかで抜かれた後の予算で人を入れるので、待遇も伸びにくい。
待遇が伸びなければ、自分の市場価値を測りにくくなるし、学習投資の意欲も落ちやすい。
こうして、成長と待遇の両方が鈍化していきます。
商流が浅いSESなら、むしろ普通に強い
逆に、エンド直や元請け寄りの案件では、景色がかなり変わります。
要件に触れる機会があり、設計や見積もりに関わる余地があり、顧客の意図も見えやすい。
もちろん、いきなりすべてを任されるわけではありませんが、少なくとも「なぜこの仕事をしているのか」が見えます。これは、成長の速度に大きく影響します。
また、商流が浅い案件は単価も比較的高いため、待遇にも反映されやすい。自分のスキルが市場でどの程度評価されているのかを実感しやすくなります。
そうなると、何を学ぶべきかも見えやすいし、次の案件選びの精度も上がる。
つまり、良い循環が生まれやすいのです。
ここで重要なのは、「SESかどうか」ではなく、「どの位置で何を経験するか」です。
同じSESでも、商流が浅い案件で経験を積んだ人と、深い商流の末端で何年も作業だけしていた人とでは、キャリアの伸び方がまったく違います。
「SESは詰み」ではなく、「選び方を間違えると詰む」が正しい
「SESは詰み」ではありません。正確には、「商流が深く、経験が積めない案件を選び続けると詰む」です。
これはかなり大きな違いです。前者だと仕組み全体を否定する話になりますが、後者は選択の問題になります。
自分で案件内容を確認し、何が積めるかを見る。
商流の深さ、担当範囲、技術環境、評価基準。そこを意識して選べる人にとって、SESは必ずしも詰みではありません。
逆に、その視点がないまま「とりあえず案件に入る」を続けると危ない。
だからこそ、SESを叩くかどうかよりも、どう見極めるかの方が本来は重要です。
SESはそれでも必要とされ続ける理由がある


「SESはなくなればいい」といった強い否定も見られますが、現実にはそう簡単に消える仕組みではありません。
感情的な評価とは別に、企業側・エンジニア側の双方にとって必要とされ続ける構造があります。
「SESになるのは怖い」と感じるのは、不確実性があるから
SESに対して「怖い」という感覚を持つ人は多いです。これも、単なる思い込みではありません。
怖さの正体は、不確実性です。どんな現場に入るのか、どんな人たちと働くのか、どの程度の負荷なのか、参画前の時点で完全には分からない。
自社内で完結する働き方に比べて、外部要因に左右されやすい感覚がある。それが怖さにつながります。
また、過去の悪い事例が強く共有されていることも大きいです。
炎上案件に入れられた、説明と実際の業務が違った、現場で放置された、そうした話は印象が強く、読んだ側にも恐怖を残します。実際に被害に遭った人がいる以上、その感情を軽く扱うべきではありません。
ただし、ここでも大切なのは「昔は全体に広がっていたリスク」と「今も一部に残っているリスク」を分けて考えることです。
今も問題のある案件はあるが、それが全体ではない
正直に言えば、炎上案件も、低単価案件も、無理な常駐案件も、今なお存在します。「今のSESは全部クリーン」と言うつもりはありません。
ただ、問題は割合です。
かつてはそうした案件や会社が広く存在しやすかったのに対し、今はそれらが目立つ「例外寄りの存在」になりつつあります。理由は前に述べた通りで、人が集まらないからです。
今の市場では、あまりに雑な運営をしている会社は採用で勝てません。
経験者は避けるし、未経験者も情報収集します。
案件の透明性が低い会社、キャリア支援が弱い会社、技術的に伸びにくい会社は、以前よりもはっきり不利になっています。
つまり、「怖い案件は今もある」が、「SES全体が怖い」は別の話です。
ここを同じ意味で語ると、現実を見誤ります。
「なくなれ」と言われるのは、構造への不信感が残っているから
「SESなくなれ」という強い言葉が出てくる背景には、単なる好き嫌いではなく、構造への不信感があります。
多重下請け、中抜き、単価の不透明さ、現場任せのキャリア。
こうしたものに対して、



そんな仕組み自体がなくなってほしい
と感じるのは理解できます。特に、過去に悪質な会社や案件で苦しんだ人ほど、その感情は強いでしょう。
ただし、構造に問題があるからといって、仕組み自体が完全に不要かというと、それは別問題です。
ここを混同すると、「嫌いだから不要」と「機能として不要」が一緒になってしまいます。
SESがなくならないのは、感情ではなく需要があるから
SESが今後も残る最大の理由は、単純に需要があるからです。
企業は、常に同じ人数を正社員で抱えていればいいわけではありません。
プロジェクトによって必要なスキルも人数も変わります。
短期的に増員したい時もあれば、特定技術に強い人だけ欲しい時もある。
そうした変動需要に対して、SESは現実的な供給手段になっています。
加えて、エンジニア側も一枚岩ではありません。
正社員として一社に腰を据えたい人もいれば、案件単位で動きたい人もいる。
フリーランスほど自己責任を負いたくはないが、固定的な社内業務にも縛られたくない、という中間的な働き方を望む人もいます。
SESは、そうした層の受け皿にもなっています。
近年はリモート案件も増え、フリーランス的な案件選択に近い働き方ができるSESもあります。
つまり、昔のような「会社に振り回されるだけのSES」だけではなく、より柔軟な形へと変化しているのです。
「なくなるべきか」ではなく「どう健全化するか」
「SESはなくなるべきか」という問い自体があまり建設的ではないことが分かります。
なくなるかどうかではなく、問題のある部分をどう減らすか。
商流が深すぎる案件や、未経験者をエンジニアと無関係な仕事に回す悪質企業をどう見抜くか。
単価の透明性や案件情報の開示をどう進めるか。
そうした論点の方が、はるかに重要です。
つまり、SESは感情的には否定されやすいが、現実の需要に支えられて残る仕組みです。
そして残る以上は、「嫌う」ことより「見極める」ことの方が大切になります。
SESでキャリアを伸ばせる人と伸ばせない人の違い


同じSESでも、キャリアを伸ばす人と停滞する人に分かれるのは珍しくありません。
その違いを生むのは、働く環境そのものよりも、案件の捉え方や日々の動き方です。
伸びる人は、環境を受け身で消費しない
ここまで読んで、「では結局、SESに向いているのはどんな人なのか」と思う人もいるはずです。
まず、SESで伸びる人の共通点は、環境を受け身で消費しないことです。
案件に入ったら、ただ作業をこなすのではなく、その現場で何を持ち帰れるかを考える。そうした姿勢がある人ほど、SESという働き方の強みを活かしやすくなります。
特に意識しているのは、次のような視点です。
- どんな技術や設計思想に触れられるか
- チーム運営やレビューの進め方にどんな特徴があるか
- 顧客とのやり取りや調整の仕方から何を学べるか
- この案件で、自分の経歴に何を足せるか
つまり、技術だけを見るのではなく、現場そのものを経験として回収する意識があるかどうかが大きいのです。
また、自分の経歴に何が足りないかを把握している人も強いです。
たとえば、
- 実装経験はあるが、設計経験が弱い
- 開発はできるが、顧客折衝の経験が足りない
- 既存技術には慣れているが、モダンな技術経験が薄い
といったように、自分に不足している経験を言語化できる人は、次の案件選びにも目的を持てます。
こうした人は、SESでも場当たり的に働くのではなく、案件を使って経歴を積み上げていくことができます。
逆に伸びにくい人は、「会社が育ててくれる前提」で止まっている
一方で、SESで詰まりやすい人もいます。
その特徴は、会社が最適な案件を用意してくれて、自分を育ててくれる前提で止まっていることです。
もちろん、良い会社であればキャリア支援もしてくれるでしょう。
しかし、最終的に経歴を背負うのは自分です。
そこを他人任せにすると、案件の質や配属の流れにそのまま飲み込まれやすくなります。
特に伸びにくい人には、次のような傾向があります。
- 配属された案件をそのまま受け入れるだけになっている
- 今の案件で何を得るべきかを考えていない
- 自分の市場価値を把握しようとしていない
- 「会社が何とかしてくれる」と考えてしまう
こうした状態が続くと、目の前の仕事はこなせても、経歴としては積み上がりにくくなります。
また、学習が止まっている人も厳しいです。
現場で使う技術しか触れず、少し古い案件に長くいた結果、市場とのズレが広がっていく。
SESは市場との接続が強い分、学ばない人は評価が伸びにくいという傾向がはっきり出ます。
特に危ないのは、次のような状態です。
- 現場で使う技術以外をほとんど学んでいない
- 数年前の知識のままで止まっている
- 自分のスキルが市場でどう見られるかを考えていない
これは少し厳しい言い方になりますが、SESではこうした差が比較的はっきり表れます。
だからこそ、伸びるかどうかは環境だけでなく、その環境に対してどう向き合うかで決まるのです。
SESは目的ではなく、キャリア形成の手段として見るべき
SESそのものをゴールにすると、評価はぶれやすくなります。
良い案件に入れば満足し、悪い案件に入れば絶望する。
そうではなく、自分の市場価値を上げるための手段としてSESを使う意識がある人の方が、結果的に安定します。
どんな技術を積むか。どの工程に触れるか。どの商流で経験するか。どのタイミングで転職するか。
そうした視点を持って動ける人にとって、SESは決して悪い選択肢ではありません。
むしろ、複数の現場を見られることが武器になります。
まとめ
- SESは過去のイメージで叩かれすぎている
- 無能ばかりなのではなく、人材のレベル差が大きい
- 詰むかどうかはSESそのものより、会社と案件の選び方で決まる
今のSESは、昔の印象だけで一括りにできるほど単純ではありません。










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